白鷹と神楽坂との出会いについて、往時の雑誌には次のように記されています。
悦叟翁升本喜樂翁に逢ふの事
現在東京で『白鷹』を扱つてゐる升本総本店と白鷹の悦叟翁との因縁は實に遠く深い所にあるのでありまして、白鷹の眞價を始めて認めて呉れたのは實に現在升本総本店の先代である升本喜樂翁であつたのです。
悦叟翁は明治十九年に白鷹の用件で始めて上京されたさうですが其の時は東海道線は國府津迄延長されてゐたばかりだつたさうで、兎に角困難な旅をして東京につき升本喜樂翁にも始めて面會されたといふことです。
其の時悦叟翁に封して喜樂翁の曰くには、自分は最近棚下しをした時に倉庫を清掃したが、隅の方に四斗樽が一挺轉がつてゐた。見ると蜂の巣のやうに錐を入れた跡があり空樽かと思つて轉がしてみると中に酒が残つてゐて『辰悦』の印があつた。そこで試みに其の酒を取出して唎味してみると美味どころか芳烈無比な匂ひと味を持つてゐたのには驚いた、そこで自分は白鷹こそ後世恐るべしであると考へ、此の酒には力を入れねばならぬと思つて現在やつてゐる‐‐と語られたので、翁は非常に感激し『私の酒の眞價を最も早く認めて呉れたのは貴方です』と云つて堅く喜樂翁の手を握られたといふことです。
以来、現在まで、私共は白鷹を扱い続け、現在に至っているのです。