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各地の「升本」さん

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当社は問屋なのですが、しばしばお問い合わせ頂くのが

「○○の升本酒店って御社の酒販店の支店なんですか?」

御親戚ですか?」

というもの。

また、数多くお世話になっている都内のデパートさんからは「同じデパ地下の亀戸升本って御社の新規事業なんですか?」などとも。

結論からいうと、皆さん支店でも親戚筋でもなく、江戸期以来の御縁の酒販店様等なのです。

その経緯等を簡単に整理してみました。


 

1. 「升本酒店の家訓」(国会図書館所蔵資料より)

喜楽翁※1は隠居するに当って、家法の大要を、後継者即ち二代目当主の喜兵衛に告げて将来を戒め、その上茅場町の支店※2は孫娘に養子をして同業を営ませ、本支何れも協力して家業を励み、少しも家法に背くことのない様に誓わしたのである。今その大要を挙げるれば、左の如くだ。
(略)
一、年期明の者には荷を送って支店を持たせ、若くは本人の希望に依りて、一時賞金を与えて通勤番頭となすこと。
(略)

※1:初代升本喜兵衛
※2:「茅場町の升本」として永らく問屋として商いを続ける(後に総本店に再統合)


 

2. 「升本」屋号の酒屋さん

上記の「年期明の者には荷を送って支店を持たせ」は着実に実行されていったようで、記録に残る最も古い「のれん分け」は慶應2年の九段「升本屋升吉」さん、のようです。
特に明治期は「のれん分け」の伝統が色濃く残っていたようで、明治30年には神楽坂を代表する「升本酒店」さん(納戸町升本)(先般NHK「新日本風土記」にてご紹介!)や、その少し前には三崎町の「升本酒店」さん(三崎町升本)等の「のれん分け」があったようです。

これらの古い「のれん分け」のお店からはさらに「孫」の「のれん分け」が行われ、例えば「納戸町升本」さんからは代々木上原の升本酒店さんであるとか、「三崎町升本」からは新橋を拠点に大きな展開で名を馳せた「新橋升徳升本本店」さん(升徳)などが分かれています。ちなみに、官公庁を中心としたサラリーマンに絶大なる人気を誇る、居酒屋「虎ノ門升本」と地酒に強い酒販店「株式会社マスモト」は、この升徳さんからさらに枝分かれされたお店です。

その他、現在、デパートの地下食品売り場等で最も有名な割烹やお弁当の「亀戸升本」さんは、先々代が明治期にのれん分けして創業した酒屋さんがルーツであると亀戸さんご自身からおうかがい致しました。


 

3. 「福升会」の成立

大正期になると、これら「升本」屋号の酒屋と「升本総本店(当時は升本本店等)」とのゆるやかなパートナーシップとしての「福升会」が成立しました。当初の会長は升本一族の升本喜衛門で会員は約30名、酒や醤油、ビールなどの共同購入や、「福升会」としての商品券の発行を行っていたようです。


 

4. 戦後の「升本会」へ

その後、太平洋戦争前後の統制期を経て戦後の高度成長期に入り、酒屋という業態も大きく変わっていきました。その中で、「福升会」が発展的に解消・再構成される形で、「升本会」が発足しました。E

この「升本会」は経済的な繋がりを求めるというより、「友人以上血縁未満」の繋がりの中、共に酒類業界を盛り立てていこう、というもので、現在まで続いています。ちなみに現在の理事長は業務用卸と焼酎に強みを持つ新宿の「升本」さん(西新宿升本)、その他、前述の納戸町升本さん、虎ノ門升本さん等が役員を担われています。


 

5. 21世紀の「升本」

「酒屋は厳しい」と言われる昨今ですが、上掲した、明治期の「元祖のれん分け」的な納戸町升本さんや、「酒のつまみにかりんとう」で知られる笹塚の升本屋さん(確か白山の升本からの枝分かれ)など、若旦那が元気よく跡を継がれているお店も少なくありません。

我々も、彼ら若い世代と共に、この緩やかなつながりを大事にしつつ、「酒屋って楽しいな」という気持ちで続けていきたいと考えます。


 

 

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