当社が当地牛込の揚場河岸・神楽河岸に居を構えた江戸末期。
残念ながら当時の当社の様子を描いたものありませんが、古くから隅田川・日本橋川・神田川からの舟運の終点の荷揚げ場として栄えた揚場河岸・神楽河岸は、数多くの名所図会や風景画等に描かれてきました。
江戸名所図会「牛込神楽坂」。絵の下端に外濠が通っています。
黄色の楕円の部分が軽子坂下・揚場河岸に当たります。
浮世絵師として世界的に有名な広重の団扇絵「どんどんの図(牛込揚場丁)」。
外濠から市ヶ谷方面を見たもので、絵の右側のお店の辺りが揚場河岸の当社倉庫辺りに相当する。
いわゆる「広重ブルー」の美しいこと。
ちなみに、この図が描かれたころは当社はまだここに店を構えていなかったと思われますが、不思議なことに看板の見える「茗荷屋」さんの名が記された資料を以前倉庫に見た気もする。。。。なぜだろう?